スポーツ選手のセカンドキャリア問題

~個人の問題から社会の問題へ~

我が国では、オリンピックで活躍するようなトップアスリートが、主に企業に社員という形で所属して競技活動を行うアマチュア選手(企業アマ)であった時代には、競技引退後も所属企業が面倒を見てくれるという保険があったため、そのセカンドキャリアはあまり問題にならなかった。
その後、競技レベルが向上するにつれ、JOCの肖像権一括管理に疑問を抱く選手が肖像権を自分で管理するようになり、自分で稼いで自分で強化するような「プロフェッショナル」化していった。これらのアスリートは、スポンサーなどを自由に得ることができるようになった反面、「競技引退後も所属企業が面倒を見てくれる」という今までの競技活動の保険を放棄せざるを得なくなった。
実際、高度競技者としてのチャレンジの代償としての将来に不安を抱き、選手自身で保険(大学院進学など)をかけることも少なくない。また、特にサッカーやプロ野球のような完全なプロスポーツ選手の多くが、入団5年以内という早い時期に引退か否かの選択を迫られている。サッカーにおいては、高校卒業後2~3年の20歳前後で、次のキャリアを探さなければならない選手も多くみられる。このような状況を危惧し、日本サッカー協会や日本プロ野球機構は、進学や就職斡旋などのセカンドキャリア支援を行っているが、選手の「プロ」という特別な人生を歩んできた「プライド」や、失敗者という事実を認めたくない「プライド」が邪魔をしてキャリア支援窓口の利用者が少ないなど、十分機能しているとは言い難い。
しかし一部の選手であったとしても、引退後の定職が見つからず犯罪に走ったりすることは、プロスポーツという夢の職業において多大なイメージダウンをもたらすものである。それ以上に、華やかな表舞台の裏に存在する「セカンドキャリア問題」という影の部分が浮き彫りになることは、人材確保という面において大きなマイナス影響を及ぼすこととなる。このことは、プロスポーツ界に限ったことではなく、一般種目においても競技が高度化し、スポンサー契約のいわゆる「プロフェッショナル」選手が増えていくことにより、同じように人材確保の問題から競技力の低下を引き起こすものと考えられる。
このような現状の背景には、日本の教育制度と社会環境の問題が存在する。比較的セカンドキャリア問題の少ないといわれるヨーロッパにおけるトップアスリートは、統一尺度(中等教育資格修了試験など)における学力レベルのチェックに基づき、大学(高等教育)に進学したアスリートと、軍隊、警察、消防士などの公務員に所属して競技に専念しているアスリートに二分される。前者は統一尺度により保証された学力を有し、大学においても主専攻・副専攻を修めてトランジットが十分に可能である。また後者には、競技引退後2~3年の猶予期間が与えられ、資格取得などセカンドキャリアのための準備に充てることができるようになっている。
一方日本においては、高等教育の大衆化とそれに基づく入試の多様化という名のもとで、大学の経営戦略ツールとしてAO入試やスポーツ推薦が増加し、その結果として学生アスリートの学力低下が危惧されている。そしてこれまである程度、企業所属という保険によって担保されてきたスポーツ選手の能力への価値評価がよりいっそう直接的でシビアなものになり、その価値評価の低下を促進させるという悪循環が引き起こされている。
これらのことから、「セカンドキャリア問題」は単に引退選手の職業斡旋の問題として片付けられるものではなく、日本におけるスポーツの意味・価値の低下につながる構造的な問題として捉えなければならない。そして、そのことが我が国の将来世代に向けて、何かに挑戦し続けようとする夢やエネルギーが失われていく社会を形成していくことにつながっていくというイマジネーションを持つべきである。つまりトップアスリートの「セカンドキャリア問題」は、個人レベルではなく、社会レベルの問題として強く認識されるべきなのである。
したがって、この問題の解決のためには、トップアスリート支援を「発掘→育成→強化」にとどまらず、スポーツで培った能力を引退後に社会に示すところまで広げなければならない。そして、スポーツの能力には様々な汎用性、応用性があることをスポーツ界が証明し、その能力獲得過程から個人の能力を正しく評価し活用するまでのキャリア全体について、スポーツだけでなく社会のモデルとできるような取り組みが必要であるといえる。

菊 幸一